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<アメリカ・VARIETY誌>

渡辺紘文の創り出した超現実的喜劇映画は、
その無意味さ、あるいは陽気さ、あるいはその双方によって観る者を攻撃するだろう。


<佐藤忠男/映画評論家>
型破りの映画というものは、ありそうでじつは滅多にないものである。
特に、それで、あっと驚く作品など、そうそうあるものではない。
ところが私はこの「そして泥船はゆく」には本当にびっくりしてのけぞった。
なんだこれは。
こんなへんてこな映画が、どうしてこんなに面白いのだ。
驚いた点では「勝手にしやがれ」いらいかもしれない。

 

<柳町光男/映画監督>
最後の幻覚シーンの前まではワンシーン・ワンカットを貫き、カメラをほぼ固定した長回しが続くが、そういう映画にありがちな停滞感が少しもない。
人物たちの止まらない速いテンポの会話や出し抜けのアクションによって、画面が時折鋭いカミソリで切り裂かれる。
風刺と即興のカミソリが引き裂く裂け目から生々しい映画の効果が現れる。
人生の退屈さが鋭い感受性と共にリアルにほとばしるのだ。
主人公の家が茶の間と玄関先だけで処理されているように、他の場所もリフレインされて場面の数は非常に少ない。
限定によって時間と場所の淀みを自然に、逆に広く豊かに見せる表現に成功した演出力は確かなものだ。
出突っ張りの渋川清彦の演技がこの映画に大きく貢献していることは間違いない。
不適な立ち振る舞いに可笑しみに溢れた驚くべき細かい身体表現を加えることによって、怠惰で野方図だが傷つきやすい青年の心理を見事に現出させた。

  

<天願大介/映画監督>
「そして泥船はゆく」は渡辺監督自身を描いた映画だ。
自己愛と自己嫌悪に引き裂かれ、世間の底辺でのたうち回る主人公は何とか『自己』の外に飛び出そうとヤケクソの闘いに挑む。
外へむかおうとするその意思を俺は評価する。その先は茨の道だけど、だから何だってんだ。
この映画は、映画界に居場所がなく地元に戻った気弱なデブの渡辺が、再び映画に立ち向かうための必死の叫びであり、宣言なのだ。
居心地のよい自己愛と決別した渡辺が破滅するか成功するか、
皆さんどうか笑って見届けてやって下さい。

 

<佐々部清/映画監督>
不思議な映画だ。
共感できる登場人物は一人もいない。
状況や感情はセリフで説明され、まるで舞台劇のようだ。
後半はコメディなのに笑えもしない、破綻している。
それでも愛おしいのは登場人物すべてが哀しいからだ。

 

<わたなべりんたろう/映画監督・ライター>

栃木からの痛快な一撃!
モノクロの重喜劇で今の日本のダメさを描く。
このダメな八方塞がりの描き方が鮮烈!
初主演の渋川清彦さんも魅力を十二分に発揮

 

<皆川ちか/映画ライター>
渋川清彦さんが、なんと魅力的に佇んでいるのでしょうか。
セクシーで、崩れていてだらしなく、怠惰で気分屋、小心者。
「危険な男」を演じることが多いこの俳優、これほど見せる、かつ魅せる映画はこれが初めて。
もし私が渋川清彦ならば、この作品を宝にします。
物語はあってないようなもの。様々なエピソードの収拾もついていませんが、それでもかまわない。
いやむしろ、収拾つかない方がこの世界には似つかわしい。そんな独特の「ゆるい空気」が全編にながれています。
これは勉強して身につくものではなく、作り手の個性ないし才能だと思います。
これはクリエイターにとって、何よりも代え難い宝そのもの。是非、第二作目を拝見したいです。

 

<ダリオ・トマージ/映画評論家>

コーエン兄弟のジェフリー・リボウスキが再び降臨したかのようだ。
映画「そして泥船はゆく」は近年の日本のインディーズ映画では最も成功した作品のひとつだと思われる。